大学の研究者になりたい人たちへ
ご無沙汰しております。(挨拶)
約半年ぶりの更新でもっと更新したいことは色々とあったんですが、今ふと書きたくなったので衝動的に殴り書きをしていこうと思います。
タイトルに反して、ただの自分語りです。
を読んで思ったことと近況の報告です。
目次?
近況報告
さて、私は9年間の大学生活(学士4年+修士2年+博士3年)を終え、4月から企業で働きます。
博士の学位を取ることができなかったので修士卒での入社となります。修士でも雇ってくれる企業には感謝です。
環境が悪かったなどということはなく、純粋に自分の怠惰、怠惰に起因する能力不足が原因であると思っています。
博士になんかなりたくなかった
学位が取れなかった人間が何言ってんだって話なんですけども。
外的要因で博士課程に進むということ
私の場合、そもそも博士課程に進みたいと思っていませんでした。
「それなら何故博士課程に進んだのか?」
単純に言うと家庭内の圧力に負けたからです。
いわゆる「毒親」の呪縛ですね。
外的要因で博士課程に行くって? 進路は自分で決めるものでしょ?
家族が原因で進学は本当にレアケースですが、外的要因で博士課程に行くパターンが他にもあります。
・就活の失敗
どこにも決まらなくて博士課程に進学というパターンは結構あります。
知人に3人くらいいます。
必ずしも本人の能力がないから就活に失敗するわけではありません。
しかし、途中でやめてしまうパターンが多いです。
あるいは確固とした夢を諦めきれないパターンです。
・指導教員に「説得」されて
このパターンも直接は見てませんが割とよくある話です。”優秀な学生”が「説得」されて進学します。
この説得の形は様々で、間接的に就活の失敗の原因となります。
そして気をつけないといけないのが、学生本人が外的要因で進学を決断していると認識していない場合があります。
この手の人は博士学位は問題なく取れますが、学位取得後の進路はかなり慎重に考えないといけません。
研究室配属されたら、最初に指導教員研究テーマを与えられます。
“優秀な学生”はそのテーマを見事完遂させ、論文を書き上げます。
指導教員に「じゃあ次はこのテーマでやってみよう」と言われます。
“優秀な学生”はそのテーマを見事完遂させ、論文を書き上げます。
指導教員に「じゃあ次はこのテーマでやってみよう」と言われます。
“優秀な学生”はそのテーマを見事完遂させ、論文を書き上げます。
見事に博士の学位をとり、あるポジションを得て研究者人生をスタートさせます。
そして元優秀な学生は、途方に暮れるのです。
「私は何がやりたいんだ」
こうならない人こそが研究者として花開く人だと思います。
研究者になると幸せになれる人とは
研究者の資質
研究者の資質について考えてみましょう。
私の考える資質は以下の4つくらいです。
一番上が一番大事すぎて残りは後付です。
・自分自身でモノを考える力
これさえあれば後に述べる資質は全て時間の経過と共に身につきます。
修士と博士を分ける境界はここにしかないと考えています。
この力がないと、どこかで研究者として行き詰まります。
全く別の表現をすると価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれないのです。
この力は研究を進めるための”エンジン”です。
私にはありません。
・基礎学力
学力があれば優秀な研究者になれるわけではありませんが、優秀な研究者で学力のない人は1人もいません。
基礎学力は研究を進めるための”タイヤ”です。
基礎学力がない研究者というのは四角形のタイヤをはいている車みたいなものです。それでもエンジンさえあれば進みます。
私にはありません。
・体力、精神力
最初のリンク先にもありますが、土日働いても体を壊さない体力が必要です。
研究が進まなくてもめげない精神力が必要です。
私にはどちらもありません。
精神力があるって言われますけど研究から逃げ出すから心が折れないだけです。
・コミュニケーション能力
ウェイウェイ言うコミュ力じゃありません。
報告・連絡・相談が出来るかどうかです。おそらく会社と同じです。
これがないと共同研究ができません。共同研究ができないと最終的に研究予算が減ります。
私にはあまりありません。
大学研究者を取り巻く環境
最初のリンク先にもある通り、”労働者としての研究者の待遇”はいいものとは言えません。
国公立大学教員の給料は公開されています。調べてみるといいでしょう。
例:国立大学法人宮崎大学の役職員の報酬・給与等について
1.給料が安い
2.労働時間が長い
3.休日が少ない
4.安定しない
5.将来が分からない
さらに、大学教員は研究予算を自分で取ってくることが望まれます。
自分で安定して予算を持ってこれたら一人前です。
ちなみに持ってきた予算の1割くらいは大学に収めないといけないそうです。
このように研究者という職は苦労の割に金銭的見返りが少ないのです。
「休み? いらない! 研究させろ!」
という人でないとダメだということが想像できるでしょう。
まとめに代えたメッセージ
優秀な修士の学生の皆さんへ
修士の学生でも「休むのが勿体無い」「休んでられない」学生は少なからず存在します。
彼らの多くは優秀な学力を持ち、素直な性格で、「自ら進んで」深夜も休みも研究室にこもっています。(こんな人は何人も知ってる)
ですが、「自分自身でモノを考える力」が備わっていなければ研究者になってはいけません。
「指導教員の右手」として動くことができるだけでは研究者ではないのです。
後輩に研究手法を指導出来るだけでは研究者ではないのです。
指導教員の雑務を肩代わりすることは研究者じゃありません。
優秀と周りから評価されていて博士課程に進もうと考えている修士の学生は、一度研究の手を止めて考えてみることを強くオススメします。
そんな時間がない? 時間はつくるものって指導教員が言っていませんか?
次の学会の締め切り? どうせ伸びます。一週間くらい休んでしまいましょう。
博士課程の皆さんへ
博士課程に在籍する学生の99.9999%は私より研究者に向いているので、私から言えることがありません。
しかし、もし外的要因で博士課程に居ると思うなら、やはり一度立ち止まって考えてみるといいでしょう。
「学位取得後、あるいは今、指導教員の手を離れて1人の研究者として振る舞うことができるか?」
「できないのならば、今私に足りないものは何か?」
博士課程にいるからといって、必ずしも大学教授を目指してポスドクになる必要はありません。
私のように企業への就職、あるいは公務員への就職など、他の道があることをお忘れなく。
子を博士にしたい親へ
子は親の思い通りに育つ生き物ではありません。
それでも、子どもに科学の面白さを、自分で考える事の面白さを伝えることができるならば、もしかしたら子が科学者になれるかもしれません。
優秀な研究者の子どもは、大体優秀ですよね。(ノーベル賞取った人の子どもが高学歴なのは結局教育が上手かったんだと思います)。
さいごに
どんなに研究者に向いてなくても、博士課程まで行ったからには博士の学位は取ったほうがいいです。
取るのを諦めるならさっさと転進しましょう。
20代中盤にモチベーションが上がらないことに3年も突っ込むのはロスが大きいです。
というわけで、今日はこの辺で。
補足
簡単に私の経歴を書いておきますが、上で述べたことは少なくとも理系全般で通用することだと思います。
・学部時代
当時流行の始まりだった「文理融合学部」にいてあまり専門性を重視しない学部の理系側にいました。教師とSIerになる学生が多かったかな。
教員免許も取りました。←これ、進路選択の精神的な保険になります。
4年生の配属研究室は工学が専門の先生の小さな研究室でした。ちなみにこの時点でベクトル解析未修でした。
学生と良好な関係を築くのが苦手な先生でしたね。
教授自身の研究能力の高さはありました(毎年安定して科研費が取れる)し、今思うとあのままやっていれば上に述べた「指導教員の右手」にはなれたと思っています。
しかし、博士課程に行くということが刷り込まれており、このまま専門性が高まらない学部でいるのはまずそうだと思い、比較的大きな研究室のある工学研究科に行くことに。
院試勉強しないといけないんですが、これがまた分野横断的な学科で「基礎学力重視」だとかでめちゃくちゃ簡単な試験を受けるだけで受かりました。学部1年で合格点とれるくらい簡単でした。
基礎学力がつかないままだったんですね。
・修士時代
同じ分野を志すことにしました。工学研究科でしたが、どちらかと言うと理学的アプローチを試みる研究室でした。
そういう立ち位置を認識できるようになったのも入ってから暫く経過してからでした。
「自分で考えろ」とよく言われましたが、結局講義とかダラダラやってたらいつの間にかロクに研究しないうちに就活開始。
ここでも自分の適性をしっかりと見つめることができず、「親に言われたから」「なんとかなるやろ」と進学することに。
・博士時代
さすが研究室は変えず、そのまま進学しました。
この3年間何やってたんだって感じですが、本当に何やってたんでしょうね……。
まとめブログ読んでバイク乗り回してただけじゃないでしょうかね。
こんなんでも研究室の先生方やOBのお世話になりながら、なんとか就職先は確保しました。
結果としては論文も上がらず、学位も取得できずにきてしまいました。
・就活
最終的に就職ができたのは比較的企業ウケのいい「つぶし」の効く分野だったからなのは大きいと思います。
一番大事なのは、ポスドクにしても、大学教員にしても、企業に就職するにしても、”コネ”と”タイミング”です。
博士課程の学生は人数が少ないので「一本釣り」されるケースが多いのです。
もちろん、今は景気が良いというのも大きいと思います。
結局、私個人の運が良かっただけですね。
補足その2
「価値ある研究」の意味がわからなくなったときに。
応用基礎研究のすすめ
3件のフィードバック
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ピンバック: 研究室生活への向き不向き │ おさかなの徒然
博士研究員として働いて今は転職した者です。
元になった記事も読みましたが、どちらもよく分かる内容でした。特に研究者の資質としての自分自身でものを考える力の重要性については、まさに自分にも欠けていたものでしたし、辞めるきっかけとなった資質でしたので、大きく納得しながら読ませていただきました。
個人的にもう一つ思うのは、何かしら省みる性質の人には向かない、ということです。外的要因で進路を決めるということの延長線上の話かもしれません。研究室の中しか世間を知らずコミュニケーションのとれない人たちというレッテルを貼られてなお堂々と外に出られる人。能力がなくてもまた業績が出なくても図々しく居られる人。将来の保障のなさに対し、あえてにしろ仕方なくにしろ目を瞑ることができる人。こういう人なら続けていたのかもしれませんが、今も書いていてなにかおぞましい感じがします。やはり自分には続けられないものだったのでしょう。