歴史の勉強??


※赤字は高校入試控えた人なら覚えておいて損はないハズの語句です。

小説版ぴたテン3巻で、志摩と太郎が離別する原因の一つである、米騒動。ちょっとそこら辺を詳しく語ってみましょう(何)

1914年、第一次世界大戦の勃発。コレが原因で、1917年にレーニンが指導者のロシア革命が起こります。コレは、日本を含む、ファシズム国家に多大なる衝撃を与えました。なぜなら、この革命は今までの『ブルジョアジー革命(市民革命)』とは異なり『プロレタリアート革命』だったからです。

ブルジョアジーとは歴史用語での市民、つまり今で言う大会社の権力者(=ある程度の力を持つ人々)のことです。しかし、プロレタリアとはただの小市民、つまり、我々のような人々が革命を起こしたのです。

これはファシズム国家にとっては大変なことです。次は自分の国にプロレタリア革命が起きて殺されてしまうかもしれないから。そこでファシズム各国は躍起になってロシア革命を潰そうとします。もちろん日本もそのご多分に漏れず、シベリア出兵を発表します。

そこで米屋は考えた。『シベリア出兵が起これば、米の量が減り、高く売れる。何も今売る必要は無い。隠してしまおう』

そこで金持ちは考えた。『シベリア出兵に伴って米の値段が上がる…わざわざ高い時に買うのはアホだ。今買い占めてしまおう』

米の売り惜しみと買占めで急激に上がる米の値段。そして富山県で米騒動が起こり、爆発的に広がっていきます(1918年)

その時に暴れた人数は70万人。当時としては相当の数で、軍隊を用いてやっと鎮圧しました。

その責任を取って寺内内閣失脚。そして次の総理大臣を指名する時に天皇(正確にはその側近の元老たち)は考えた。『寺内は特に支持されていない政党から勝手に私が選び出したものだ。つまり寺内失脚の責任は私にある。今度このような暴動が起こったら、止められないかもしれない。ロシア革命の例もあるからだ。ならどうするか…。最も支持されている政党の党首を選べばいい。もしそれで失敗したら誰が悪いか、それを選んだ国民の責任だ』

そして次に総理大臣になったのは原敬。ここから初の本格的政党内閣が発足したのです。ちなみに五・一五事件で政党内閣は終わりを告げます。

まぁ、つまり… 第一次世界大戦(1914)→ロシア革命(1917)→シベリア出兵(1918)→ 米騒動(1918)→原敬の政党内閣五・一五事件ってな感じですかねぇ……?

ふぅ・・・無意味な長文でした(爆)


2003年3月ごろ執筆
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